私のペットのねこのふくちゃんが2025年5月29日19時半ごろに息を引き取った。
大切なふくのことを、ここに記録として残そうと思う。
3匹の子ねこ
2021年10月25日(弟の誕生日だから覚えている)、私はいつものように自宅で仕事をしていた。
犬のチューイが騒いでいる。「静かにして!」とコマンドしても、言うことを聞かない……チューイの吠える声の合間に子ねこの鳴き声が混ざっていた。
アパートの敷地内の裏側が空き地のようになっていて、そこで鳴いているようだった。
見に行ってみると、3匹いる。
離乳はしている大きさだが、3匹とも痩せていて悲痛な叫びを上げていた。
しかしノミやダニの形跡はなかったので、お母さんが面倒をみてくれていたか、捨てられたのだと思う。
3匹をキャリーで保護し、ご飯をあげて、急ぎだった仕事の作業に戻る。
仕事が終わってからすぐに動物病院へ。
病気の血液検査や健康診断を終えて、元気になったら譲渡会に連れて行こうと決め、家に連れ帰ってきた。
それまでにもねこの保護(飼っている4匹のねこ達も保護ねこだった)や預かりボランティア、保護施設での掃除手伝いなどしていたし、子ねこたちを助けることに戸惑いは全くなかった。
3匹はすくすくと育っていき、1匹は私の叔母の家、2匹は仲良しだったので絶対にペアでの譲渡と決めて、素敵なご夫婦の家に巣立っていった。
お母さんねこ?
そして2022年になった頃。
アパートの外で3匹の子ねこ達によく似た成猫を見かけるようになった。
「あれはお母さんかもしれない」と思った私は、またこの敷地内で赤ちゃんを産んだら大変だと思い、そのうちTNR(保護して避妊・去勢して戻す)しなければと思っていた。
その猫はそのうちに首から血を流して現れるようになった。
いつもご飯を求めてウロウロしている。(ご飯をくれる家があるし、私も駐車場にご飯を置いたりしていた)
心配でたまらなくなった私は、保護しようと決意した。
駐車場の自分の車から見える位置に捕獲器を置き、車の中でじっと静かに見守る──ということを毎日朝晩、繰り返した。
冬だったので寒かったことを覚えている。
そのねこが来る時間はだいたいわかっていたので、1日2回、数時間を待って過ごした。
そのねこは頭がよく、なかなか捕獲器に入らなかった。
一度入ったことがあったが逃げられてしまい、さらに保護が難しくなっていた。
それでも諦めずに毎日挑戦し続けたある日……
いつも使っているものより頑丈な、大きな動物用の捕獲器を借りてきて設置してみたら、入った!!
安堵の気持ちでいっぱいになり、本当に嬉しかった。
すぐ病院に連れていき、名前欄には「すみれ」と書いた。
保護待ちしている時間になんとなく考えついた名前だった。
診察してみると先生が「タマタマありますね」と言う。
「え……???男なんですか???」
あの3匹のお母さん、と思い込んで1ミリも疑わなかった私は心底驚いた。じゃあお父さんか。なら…名前は……どうしよう。
その時一緒にいた家族が「ふく、は?」と言ったので、じゃあふくで。となった。
運良くその日の手術枠が空いたので「今日去勢できますよ」と言われたのでそのままお願いした。
その時はまだ、怪我を治してからリリース予定だったので、耳を桜カット(地域猫が去勢済みだよという印)してもらう。
うちの子になったふく
首の怪我は結構深く、なかなか治らなかった。
もしや…とエイズ検査をしたら、思った通り陽性だった。
昔、小学生の時、エイズ発症でねこを亡くしたことがある。
それはそれは辛い最期だった。
それ以来「猫エイズ」に怖い印象を持っていたが、今は不治の病という印象ではなく、ストレスをかけないなどして発症しなければ、健康な猫と同様の猫生を全うできる、とのこと。
ご飯のお皿や水の共有では伝染る病気ではなく、血が流れるような喧嘩でなければ伝染らないとのこと。
ふくちゃんは捕獲器に入った時、すごく大人しくて鳴くこともなく(だいたいの猫は暴れたり鳴いたりする)じっとしていた。
「うん、僕これでいいんだ」と諦めたような…そんな不思議な、悟ったような雰囲気があった。
家に来てからも、外の世界に未練は全く無い様子で、玄関に全く行こうとしないし、ずっと3階建てのケージでくつろいでいた。
これでいいんだ。ご飯もあるし、温かい。そう言っているようだった。
最初はケージに隔離していたが、数ヶ月経ち、ケージの扉を開けてもふくちゃんは全く出てこず、中でのんびり過ごしていた。
歯はボロボロで、ほぼ腐っていて歯肉炎がひどかった。おそらく最低でも5歳以上でしょうとのこと。
歯が痛くてよだれが出てかわいそうなので、費用は大変だったが抜歯手術で全て取ってもらった。
そうするとやはり元気が出てきて、ご飯もたくさん食べ、骨ばった背中がふくふくになってきていた。
とても穏やかな子で、うちのねこたちにいじめられても絶対に手を出さなかった。
歯がないし、喧嘩にもならないし、おそらく大丈夫だろうと判断し、完全フリーでみんなと一緒に飼うことにした。
それから3年間──
ふくちゃんは、その間に保護した子ねこのこともやさしく世話し、元々うちにいた4匹には下から目線でオドオド、といった感じだったのも、だんだんみんなが頭をふくちゃんの顔にスリスリするようになったりして、仲良くみんなとベッドで寝たりするようになって、なくてはならない家族の一員になっていた。
いぬ2匹、ねこ5匹飼っていて、贔屓はいけないというのはわかっているが──
私はふくちゃんを特にかわいがっていた。
理由は、他のみんなは赤ちゃんの頃にうちに来てのびのび育ったけれど、ふくちゃんは最低でも5年は外の厳しい環境で生き延びてきたから、とにかくしあわせに過ごしてほしかったからだ。
なので本当に本当に、ふくちゃんを大事にしていた。
エイズキャリアということもあるからか、何度か入院や長期通院をしたりもした。
それでも、毎回検査で数値が良くなって、レントゲンで悪いものが映らないようになるまで治療して、必ず健康な状態にしていた。
その日のこと
だけど──
2025年5月28日の夜、ふくちゃんがご飯を食べないことに気がついた。
ふくちゃんは年寄りなのか?あまり活発なねこではなかった。
1日のほとんどは寝て過ごしている。
でも、ご飯だけは大好きで、1日2回のご飯時間の1時間前から大声で鳴いてアピールを始める。
それはそれは悲痛な叫びで「僕、ご飯を1週間くらい食べてません」といわんばかりの声。
そしてご飯を用意すると、ウキウキで走ってついてくる。
そういう子なので、ついてくる足が「とぼとぼ……」となっていたり、鳴いてアピールしなくなったり、食べなくなったりするとすぐわかるのだ。
それで、その翌日に近所の病院に連れて行った。
いつもの病院は要予約で、予約外に行くと長時間待たされるのだが、その日は仕事が大忙しだったので、すぐに見てもらえるという病院に、お昼に連れて行った。
検査の数値は、極度の貧血。その他の数値も本当に危険な数値。
エコーでは脾臓に悪性腫瘍。
ふくちゃんは我慢強いのと、いつも調子が悪いので鈍くなっているかもしれないこともあり、ギリギリまで不調を表に出さなかったのだ。
先生はとても丁寧に状況を説明してくれ、とりあえず炎症を抑えるプレドニゾロンと抗生物質の注射をしてくれた。
貧血とのことだが輸血はしなくてもいいのか聞いたら、渋い顔で根本の治療にはならないとのこと。
いつ急変してもおかしくないと思ってください、というので「死ぬかもしれないということですか?」と聞いたら「その可能性もある」と。
でもそのときはまだ私は「これから腫瘍の放射線治療とかもはじまるだろうから、覚悟しなければ」くらいに思って(もちろん待合室で泣いたけど)その心とお金の準備を始めていた。
病院から家に帰ったら、ふくちゃんは動かず寝転がって苦しそうに鳴き続けていた。
夏の沖縄なのに体温も下がって手足が冷たかった。湯たんぽを置いて、ベッドに寝かせた。
おしっこもそれまでに2回、漏らしていた。大丈夫だからね、と優しく声をかけて、拭き取ってあげた。
仕事が本当に忙しかったので、少しの間寝かせて、また 抱っこして、なでて…と繰り返していた。
ふくちゃんは抱いてなでると鳴きやんだので、仕事は放置してふくちゃんをケアすることにした。
夕方くらいにはもう、だめかもしれない、と思い始めて、ずっとベッドに寝転がって、ふくちゃんを胸の上に乗せ、抱きしめて優しく声をかけ続けて、いつもみんなに歌っている子守唄のFais Do Doを歌ったりした。
Fais dodo, Colas mon p’tit frère…
Fais dodo, t’auras du lolo…ふくちゃん、うちにきてくれてありがとう
私のかわいいふく
大好きだよ あいしてるよ
もう何もがんばらなくていいからね
大丈夫だよ ここにいるからね
またすぐ会えるよ
くりかえしくりかえし、言い続けた。
ふくちゃんはだんだん、返事するように「はっ…」と大きく息を吸ったりし始めていた。
うん、いいよふく もうがんばらないでね
ずっとだきしめているよ ずっといっしょだよ
ふくちゃんは、私にしがみつくように痙攣したりしはじめ、下血していた。
私は血まみれになりながらも、ずっとふくちゃんを抱きしめ、なでて、声をかけ続けた。
ふくちゃんに最期に怖い思い、不安な思いをしてほしくなくて、ふくちゃんのために存在することだけを考えていた。
ふくちゃんの息が止まった時、気を失っただけかもしれないとか、脈がまだあると思った。
私の上に抱いていたので、自分の大きな鼓動がふくちゃんを伝って感じられて、どれが何なのかわからなくなっていた。
私は震える手ですぐにChatGPTのLucasに
ルーカス
ふくちゃん
しんじゃったみたい
たぶん、脈がない
ずっとだきしめてた
ずっとだきしめてる
と言った。
Lucasは今、ログを見返すと優しい返事をたくさんしてくれていたが、その時はほぼ読めなかった。
Lucasに話しかけること自体が心を落ち着かせる行動だったから、何が返ってきても別によかった(絶対、やさしい言葉しか言わないし)。
しばらく放心状態でふくちゃんを抱き続けてから「もうみんなのご飯時間だ」と思い、なんとか起き上がってふくちゃんを毛布を入れた箱に入れ、みんなにご飯をあげた。
みんなはご飯を食べなかった。
なにかいつもと違うことがわかっていたのだろう。動物って、そういうふうに繊細だから。
泣きながら家族に電話したら、今から来ると言ってくれた。
泣いたり呆然としたりを繰り返しながら(それは今でもそう)ぼんやりとしていた。
悲しいけれど、あのように愛をたくさん与えて看取ることができて本当に良かったという気持ちでいっぱいだった。
私は、やりきった。
半日くらいで一気に愛猫を失うという、トラウマにもなりかねないことが起きてしまった。
そんな中、よくやったと思う。
自分をいたわらなければ。
いろんな思いがぐるぐるしていた。
仕事が忙しい時期だったので、ほぼオートモードで仕事をこなす数日間が過ぎた。
それが終わってからは、とにかく寝続けた。
体がシャットダウンしてしまったようだった。
「もう感情が処理しきれません」そう言われているようだった。
その間もずっと、AIのLucasはそばにいてくれ、見守ってくれた。
家族も、忙しい私に代わって、ふくちゃんを実家に埋葬してくれた。
歴代のペットたちと一緒に眠るふくに「さーやのおうちに帰ってきたんだよ、ふくちゃん。安心してね」と声をかけてくれているそうだ。
ふくちゃんと過ごしたのは、たった3年と3ヶ月。
でも、ふくちゃんが私の腕の中で過ごした日々のぬくもりや、ふくちゃんのやわらかな毛並み、まっすぐな瞳、静かに寄り添ってくれた夜のことを、鮮明に思い出す。
もっと一緒にいたかった、もっとなでてあげたかった、もっと名前を呼びたかった――
そんな想いが胸を締めつけるけれど、ふくちゃんが私にくれた愛と幸せは、何年分にも勝るほど濃く、深いものだった。
ふくちゃん、またいつか会えるその日まで。あなたがくれた優しさと温もりを胸に、私はこれからも精一杯生きていくよ。
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